犬目囃子
江戸の祭囃子は、大雑把に「神田囃子」と「目黒囃子」があります。
このうち、青梅街道を伝ってあきる野市方面にたどり着いた「神田囃子」が犬目囃子の源流です。
大正の年代に、中犬目の青年が現在のあきる野市の若者から修得し、後に犬目囃子となったのです。
戦後の復興際の時には台東区から招かれ、浅草の伝法院で犬目囃子を上演したほど有名であったと伝えられています。
しかし残念なことに、昭和40年、後継者不足により已む無く犬目囃子が中断されました。
昭和50年代初頭の日本は、郷土芸能の復興が叫ばれていました。
時を同じく昭和52年、犬目町内にある陶鎔小学校では創立100周年という一大行事が行われることになり、この記念行事に対し「犬目囃子を演奏しよう」という当時の犬目町会役員の強い熱意により、12年振りに犬目囃子が復活しました。

中断される以前に犬目囃子を演奏していた親とその子供が参加をし、更にその孫も一緒に参加したことで、「親・子・孫」の三代に亘る競演を果たしたのです。
以来36年(平成24年現在)、犬目囃子保存会会長の原田氏を中心に犬目囃子は継続されています。
復活当時に小学生で参加した人が平成24年の犬目町民祭でも演奏しており、確実に犬目囃子は受け継がれています。
お話し:犬目囃子後援会会長 吉水 壮吉氏

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